OccaのRun遊記 #宮城県・女川町編

宮城県 #女川町 #Onagawa-city

 

当地におけるランニングの記憶はかなりあいまいだ。

そして、走った時間もいつものような早朝ランではなく夕方ランだ。

最初はいつものように海を目指し、女川湾周辺を走り始めたけれど、夕方暗くなると、街中に明かりがなく道が良く見えないので、一度駅付近の宿に戻り、今度は岡の上にある競技場を目指す。女川の地形は典型的なリアス式海岸の入江付近にちょこっと町があるだけで、海側から5分も走ると急な坂道に遭遇するわけです。

海岸付近から、5分も走ると急な坂道がありしかもかなりの急こう配だ。

この坂道を登るのは、結構大変だ。丘の上にはとてもきれいに整備されている町民陸上競技場があり、そこには、学生や社会人の競技者、愛好家がそれぞれ、ランニングにいそしんでいる。もちろん多くのランナーは、それなりに能力の高いアスリートが多く、僕のような、おっさんドン亀ランナーは、一番気が引けるので、あえて、トラックの外側の7-8レーンをマイペースで走ったような。

陸上トラックはフラットで、走りやすく、更に周囲にいるランナーがみな快速ランナーばかりなので、こっちも力が入って結構いいペースで走った記憶がよみがえります。

 

尚、訪問したのは震災前のことで、数年後、発生した震災の時は、この陸上競技場が避難所として多数の人が避難する場所となりました。

 

最後に、僕にとって女川町とは、この人のイメージが強い。社会人になって、なかなか、仕事に乗り切れない時にも、気を使って優しく、しかも商売もしてくれましたね。

合掌

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OccaのRun遊記 山形県・山形市編

山形県 #山形市 #Yamagata-city

正直、山形におけるランニングについて、申し訳ないが殆ど記憶にない。確か駅前のホテルから、近くにある公園(霞城公園というのは写真が残っているので認識)付近をゆるゆる走ったくらいだ。公園内外を単純にグルグルと周回するランニングは、訪れた時期が9月上旬ということで残暑の影響もあって、早朝といえども、湿気が高く、蒸し暑い中走ったことくらいしか記憶にない、、、

けれどもランニング以外では、この時期の庄内地方は、米の収穫を控えており、広々とした平野には黄金色の稲穂がなびいており、見ていて心地よい風景だ。そんな奇麗な風景を、今度は車で颯爽と走り抜け気持ちよいドライブだ。そして、途中立ち寄ったお店では、転倒に沢山の大なべが販売されていた。こちらは、この時期、芋煮会を迎える当地で恒例の光景らしい。山形における記憶は、蒸し暑い中のラン、金色の田園、芋煮会用ナベかな。

OccaのRun遊記 宮城県・気仙沼市編

宮城県 #気仙沼市 #Kesennuma-city

 

訪れた回数が多いだけに、当然走った回数も多い。そんな中で思い出深いランニングの思い出を記します。まず初めて気仙沼で走った時のことです。

一景閣 2012年3月


気仙沼の市場から程近い宿泊したホテル『一景閣』からのランニング。まずは

気仙沼海の市』という観光センターを目指し、そこを経由して気仙沼の内湾をなめるように対岸に向かう。途中、当地で有名な酒蔵『男山』の昔ながらのレトロな建屋の前を通過して観光気分を掻き立てる。目指すは湾の反対側だったけれど、走り始めて時間もそこそこたっていたので、戻る時間を考慮するとそろそろ折り返さないといけないと思い、途中、神社と思しき祠があるところで一息入れてホテルに戻る。かれこれ、もう15年くらい前のことなので詳しく思い出せない、、、

酒蔵 男山 2012年3月 


そして、2011年にはあの東日本大震災が発生。その2か月後に訪問したことがあるけれど、この時はお客さんへの慰問が目的であり、ランニングができるような状態ではない。街中は、滅茶苦茶で殆ど手つかずで、いたるところに、ひっくり返った車や、大小様々な船が取り残され、津波の被害が生々しい状態だ。お客さんに連れられ、特別に港付近の工場跡地や、多数の人が避難した公民館の周りをみさせていただいた。建物は全て流され消失、または破壊され、泥が覆いかぶさっている。そしてところどころに潮だまりとなっていた。

 

震災から1年が経過して、再度訪問することになる。このころになると、津波により大きな被害を受けた街中も、徐々に整理され更地に、特に広く整地された場所は復興が進んだことを実感。けれども、狭い場所や川中には、いまだ津波に飲み込まれた車が、取り残された状態だったりと津波の爪痕がしっかりと残されていて、そんな町内や、市場内を巡るランであった。

気仙沼 2011年11月


早朝ランニングの定番でもある水産市場では各種魚の取引が行われていた。気仙沼市場は産地市場(水揚げされ全国に出荷する)であって、消費市場(全国から魚が集まってくる)である築地と違って、水揚げの有る無しで、場内の活気が大きく違う。これは仕方ない。訪れた時は、若干のマグロ等の水揚げがあったようだが、量が少なく、ぱっとしない。一方こんもりと山盛りにされたフカの方が目を引いた。このフカは、まあ、サメのことだけれど、延縄で水揚げされたもので、小山のように積まれたものは、全てヒレとしっぽが切り取られている。高級食材と珍重されるフカヒレはさっさと切りとられ、残されたサメはスリミの原料にまわされるということで、ぞんざいに扱われているようだ。こんなサメちゃんを見ていると、少々物悲しさを感じるけれど、言い換えれば、これも気仙沼市場ならではの光景の一つと思えば乙なものだ。

気仙沼市場 フカの山


こうして、震災前の気仙沼と震災後の気仙沼の街を重ねると、その大きく変貌した街並みに驚くが、今後更に数十年後にはさらに大きく変貌することになるのだろう。そうした未来に行ってその街並みを見てみたいものだ。

注釈:震災後のランニングは2012年3月頃のこと。その後8年の時を経て2020年3月の訪問では、港付近のエリアは更地から、公園等になったりしていたが、めぼしい建物はいまだ建てられず、途上といったところ。そういえば、大矢運送さんが橋脚建てにかかわった気仙沼湾横断橋の橋架もちょうど終了(数か月後に完成)したころで、巨大なバモクレーンは、橋から少し離れた場所に撤収前として接岸された状態でした

Occa の Run遊記 岩手県・一関編

岩手県 #一関市 #Ichinoseki-city #一関学院陸上部

 

水産業界では顧客の多くが沿岸部に多く、内陸のお客さんは比較的少ない。そのため内陸に位置するこの町、一関には、当然ながら取引のある会社はなく、通常この町を目的にくることはない。けれど、水産工場の多い港町、気仙沼に行くためには、当地で新幹線から在来線に乗り換えが必要で、かならず立ち寄らざるをえない。そして、何十回と通過したこの町にも、かつて2回ほど宿泊したことがある。もちろん朝はお決まりの出張早朝ラン、向かった先は近くを流れる磐井川の河川敷だ。

一ノ関駅西口 駅前広場付近 | 岩手県一関市の紹介 写真満載

一関駅から少し離れたところに磐井川という北上川の支流がある。川沿いの視界が開けたルートをゆるゆると走っていると、一角に、1周400mほどの整地された周回コースをみつけ、ここがまさにランニング専用と思われるようなコースだ。アップダウンや不必要なカーブがなく、とても走りやすい。そんなコースだから、気持ちも乗って、ちょっとスピードを出して走ることができる。

すると、シュッと細身体型のランナーが、三々五々やってきて、おのおの自分たちのペースで走り始める。彼らが身に着けるジャージには、一関学院と記されていて、恐らく全国レベルのエリート長距離陸上選手のようだ。彼らはとても礼儀正しく、得体のしれないおじさんランナーに対しても『おはようございます』と気持ちよく挨拶をしてくれた。これはうれしい。現役高校生ランナーが、見ず知らずのおっさんランナーに積極的に挨拶してくれるなんて、気持ちよい!指導者・保護者の方々の教育がいきとどいているんだろうな。こんな単純で何気ない挨拶だけれど、朝からちょっぴり気分良く、その日1日幸せに過ごせることができる。

 

尚、この時、私おっさんランナーは、陸上強豪校の生徒と一緒に走る機会なんて滅多にないのでちょっと調子に乗って、いつも以上にペースを上げて、頑張って走ってみた。僕は既に数キロ走り、体もあったまっていたので、少し頑張れば、最初は彼らと同等スピードで走れたけれど、彼らが、徐々にピッチを上げてくると、あっという間に追いつけないほどのスピードになり、そして颯爽と走り抜けていく。ランニングフォームに力みがなく、上半身ぶれることなく軽やかに、そして流れるような走りはとてもスマートでそして速い。実にうらやましい。

尚、後日調べたところ、やはり一関学院陸上部は、全国駅伝大会に参加することもある陸上強豪校である。高校駅伝を見る機会はないけれど、もし見る機会があればちょっと応援したくなるかも、、、 ありがとう一関 ありがとう一関学院陸上部!!

Occa のRun遊記 岩手県・水沢江刺編

岩手県 #水沢江刺奥州市 #アテルイの里 2011年5月

 

2011年3月に発生した東日本大震災から2か月が経ち、ようやく再開した新幹線に飛び乗って、東北地方沿岸部にある顧客へのお見舞い巡り。とりわけ取引濃度と懇意度が高かった釜石と気仙沼のお客さんダブルMさんと3人で宿泊した場所です。宿の名は、源喜旅館とかいったかな。駅からも近く、場所はなんとなく覚えているけれど、今では検索しても出てこないのでもうないのか? 宿は、修学旅行生や学生の合宿とかに使われるような宿で、お風呂は、銭湯のような雰囲気で、3人仲良く並んで、体の汚れを流し落としたことは懐かしい思い出。二人とも、津波により自宅も会社も全て流され、0からの再開となるため全国を奔走して、疲労がたまっている中のひと時だったと思う。

当地におけるランニングは、地図を見て大きな川(北上川)があるので、とりあえず、そちら方面に向かって走る。一番近い橋は、震災の影響を受けたようで、橋の一部が破損・ヒビが入っているかで、通行禁止であった。ひとつ川上側にある橋は往来可能なようなので,その橋を目指し、そこから対岸に渡る。

取り立てて特徴のない田園風景を走っていると、向こうのほうに、木の柱で組み立てられた、櫓のような建物を発見。田園の中に立つ、これはきっと、アイヌアテルイの城ではと勝手に思い込んだけれど、周囲にそれらしい看板は一切なかったので、まあ違いますね。

当地における早朝ランニングは、5月上旬ということもあって、頬にあたる風が涼しく心地よく、気持ちの良いランニングでした

OccaのRun遊記 岩手県・北上市編

岩手県 #北上市 #Kitakami-city

僕にとって岩手県といえば、釜石。仕事で幾度なく訪れた町だけれど、実は一度も走ったことがない。思いだしてみれば、釜石出張のほとんどが、日帰りの弾丸出張だったのだ。何せ移動に片道6時間かかるため、つまり往復12時間割かなければならないので、必然現地滞在時間は限られ、当地で走る時間はなく、釜石出張は時間との戦いという認識でした。もちろん何度か泊まる機会があったけれど、たまたま宿泊した日が、雨やみぞれだったりと、天気に恵まれなかったことも一因だったりした、また、東北エリア全般を回るため、釜石に泊まらず、途中乗り換え地の花巻や、釜石は商談のみですぐ、大船渡、気仙沼まで移動、また、北上駅あたりでレンタカーを借りるといった行程で、不思議と釜石に宿泊&ランニングを決行する機会に恵まれなかった。正直これは、僕のランニング経歴としては稀有のことで、謎のひとつだ!!今更ながら、あれほど訪れた釜石の地をランニングできなかったことが悔やまれる。

ということで、岩手県におけるランニングの思い出は、早朝ランニングではなく、『北上マラソン』というフルマラソンになる。そしてこの大会は陸上連盟に公認されたコースの大会だ(令和3年現在は公認でないらしい)。

仕事を通じて、僕とは昵懇の中であった釜石のお客さんが、僕からの勧めもあってランニングを開始して、すぐ、東京マラソンの抽選に当選、参加機会に恵まれ、その面白さにはまりつつ、月間走行距離が着実に延びていくなか、彼の地元岩手県のフルマラソンに参加しないかと誘われたことが参加するきっかけです

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北上市陸上競技場_この数年後に、旧国立競技場の座席が移設設置されることになっています

北上マラソンのコースは、陸連の公認大会とあって、参加者するランナーも実力者が多く、コースも実力者をうならせる、タフなコースだった。特にコースの中盤(ハーフ)以降、だらだらした登り坂その後更に小刻みなアップダウンがつらい。

季節は10月前半ということで、朝晩は気持ちよく冷えたけれど、昼には温度が上がり、僕にとって走りやすい(僕は、真冬の寒い大会より少し暖かい方が好きです、理由はレース終盤体力が落ちた時でも体温低下をふせげるからです)。道路沿いにあるリンゴ畑のリンゴが赤く色づき始めているのも、季節を感じさせてくれうれしい。

さてレース内容として、スタート後、少し体が重く感じながらも、気分良く走れ、タイムはしっかりとキロ5分を切れている。このペースの集団に残るため、若干力を使って走る感覚はあったが、まあ、予定通りだ。前半はこんな調子で川沿いの緑多いコースを順調に走り10キロを経過し、20キロ地点までやってくる。もちろん、20キロ近く走っていると疲労も出てくるが、とりあえず、ハーフ1時間45分をターゲットに踏ん張って走る。そして、ハーフ地点が近づいてくると、その先に何やら怪しい風景が見えてくる。そうハーフ地点以降、これから進むコースの路面が正面に見えるようになると、センターラインが自分の目線より上にくっきりと見えるのだった。そう、だらだらとした登り道がしばらくと続いているのだ。車で一気に登り切るのとは違い、ここまで20キロ以上を走ってきて疲労がたまった脚には、この登り坂はきつい。スタートからハーフまではなんとか気力で引っ張ってこれたけれど、この坂道に突入してしばらくしてついに、心が折れ、一気にペースダウン。

昔から坂道にはめっぽう弱かったけれど、この時はどうしようもなく、一気にペースダウンただ、気持ちだけを振り絞り『歩かない、止まらない』と、自分に言い聞かせながら、ほぼサバイバル状態で走り続けた。この坂道を越えても、北上の当コース後半は断続的に坂道があり、その坂道に苦しめられ、落ちたタイムを最後まで回復できず、最終ゴールタイムは4時間1分30秒。初のオーバー4となり、サブ4を逃したことが、悔しくてたまらない。実は、フルマラソンの初挑戦以降約10年間、初めてのオーバー4でした。残念(´;ω;`)ウッ…

わざわざ東京から新幹線に乗って、岩手県は北上までやってきて、こんな苦しい思いをするなんて、マラソンをしない人にとっては酔狂な人間だと思われるけれど、見知らぬ街を走るのは爽快で気持ちがいいもの。特に今回は、勝手知ったる仲間4名で参加したので、走った後の温泉と美味しい食事は、辛かったことも吹っ飛んでしまうもの。やっぱり、旅ランは最高だ。